地名の由来

2022年11月14日

今回は、「地名」についてお話したいと思います。

 

皆さんご存知の通り、地名は地形やそこにあった施設、そこで過去に起きたこと、その地に関わった人の名前などがつけられており、その土地の履歴を端的に表した名称となっています。

 

 例えば、

①  地形やその土地の特徴→中島(川に挟まれた川中島)、川手(川に近い地域)、細畑(幅の狭い微高地に耕作された一連の    畑)、柳津(津は湊の意。 かつて柳が生い茂る川湊であったことから)

②  人名にちなむ地名→加納奥平町、加納永井町(ともに歴代の加納城主の屋敷跡)

③  人間集団の集住地→加納鉄砲町(加納藩鉄砲組)、水主町(加納藩舟手組)、加納鷹匠町

④  寺、神社、城郭等の人工施設→加納長刀堀、同大手町、同三の丸(以上加納城の施設)

  加納八幡町(八幡神社神域)、八坂町(八坂神社近隣地域)、茜部神清寺

⑤  歴史的経緯による地名→茜部(奈良時代の東大寺荘園)六条(室町時代、六条ノ宮の別荘地があった)、加納(新田開墾によっ    て後から領地として加えられた土地)

⑥  合成地名 羽島(羽栗郡と中島郡を明治時代に合併させ羽島郡とした)

など、この周辺にあるいくつかの地名をすぐに挙げることができます。

 

上記以外で、さらにこの近辺の地名の由来を思いつくまま記述していきます。

・印食 → 少し高くなっている川底(古語によるもの)                                        (類型 ①)

・一色 → 一品種のみを貢納した中世の荘園所在地                                             (類型 ⑤)

・菱野 → 往古は泥濘地だった場所(古語の「ひぢ」= 土)                                   (類型 ①)

・三宅 → 大化以前の天皇直轄地(宮家、屯倉(みやけ))                                       (類型 ⑤)

・伏屋 → 豪族の布勢氏の根拠地だった所、または、平安時代に設けられた布施屋(旅人の宿泊休息所)の所在地         (類型 ③ ④)

・領下 → 領家職(かつての荘園支配層中の地位・権利)が居住していた場所                    (類型 ③)

・本郷 → 複数の集落(例 : 茜部)の中心となっている本村(茜部本郷)

・新所 → 新しく開墾された農地を擁する集落(例 : 茜部新所)

 

  これらの地名の由来を見ていくと、現在の岐阜市南部から岐南町にかけて、大化の改新

(西暦645年)以前から室町時代にかけて、朝廷やそれに連なる豪族、荘園支配層との関

係が深く、また交通の要衝として栄えていたことが浮かび上がってきます。

そうした背景のもと、関係の深かった当時の首都である奈良・京都からの情報を直輸入

した、最新の華やかな文化がこの地方を彩っていたことが想像できます。

 

そう考えてみると、往古の都人(みやこびと)たちが残してきた足跡が、この周辺の土地のあちこちに地名としてしっかり残っていることを、私たちはもっと意識し、誇りに思ってもいいのではないでしょうか?