読書の秋

2022年10月14日

秋になりましたね。「読書の秋」です。

 

私事となって恐縮ですが、先日、書棚の中から「東京の空間人類学」(陣内秀信 著 初版1985年)という本を久しぶりに手に取り、パラパラ拾い読みしているうちに、本格的に読みふけってしまいました。その中で、私にとって「刺さる」文章がありました。以下、引用します。

「都会の生活の慌ただしさに追われ、自分が今住んでいる場所の周囲に何があるのか、いつ頃からこの辺りに人が住み始めたのか、この土地の先人たちは現在の我々に何をもたらしてくれたのか、そんなことに思いを致すことは、これからもここにしばらくは住み続けるであろう私達にとって、ほんの少しの時間であっても、とても有益なことだと思うのです」(P94)

 

 本当にそうだと思います。岐阜市が「都会」か否かはともかく、例えば、皆さん御存知の通り、織田信長公がこの土地を「岐阜」と名付け、日本で始めて「楽市楽座」の制を設け、さらに「天下布武」を宣したのはこの岐阜の町で行われたことです。これも言うまでもないことですが、岐阜城の館跡「岐阜公園」は、山上の岐阜城復興天守とともに、全国の歴史ファンから「一度は行ってみたい所」のランキング上位に常に入っている、岐阜市の一大観光資源となっています。

 また、意外に知られていないことですけど、岐阜公園の北側の堤防は、信長時代に築かれ、そのまま現存しており、今の私達の生活に直接役立っているのです。

 

 以前のブログにも書いたことですが、私が今住んでいるところは昔からの集落の端っこで、過去大きな災害がなかったことが購入を決意した大きな要因でした。でも、名所・旧跡など何もない、旧農村特有の殺風景なところです。それどころか、入居当時はそこここにあった個人商店は軒並み無くなってしまい、今では歩いての買い物は不可能になってしまいました。

 ところが、4年ほど前に公民館で催された「郷土史研究会」の皆さんの講演を聞いてびっくり!なんと私の家の数メートル先に「旧東山道」が通っていた、とのこと。むろん、当時の道は建物の建付地や耕作地になっていて跡形もありませんが、古代から中世にかけての日本の主要幹線道路が私の住む家のすぐ前を通っていた、というのはけっこう興奮してしまうお話ではあります。

 

 今後、どれだけご紹介できるのかわかりませんが、岐阜市南部や笠松・岐南町等、この地域についての史跡・神社・出身人物等にスポットライトを当てて、この地域に住んでいらっしゃる皆さんに「へえ、そんな事があったんだ」「そんなすごい人(たち)がここで活躍していたんだ」と思っていただけるエピソードをこれからもご紹介していきたいと思っております。なにとぞよろしくお願いいたします。